世田谷で生まれ育って55年。中学、高校は赤坂のど真ん中にある学校に通い、27歳の時から現在まで六本木に仕事場を構えている。赤坂、六本木、それと通学途中の渋谷、青山はかって知ったる庭のようなものだ。
中学生の頃、お小遣いを握りしめて、当時表参道の原宿寄りにあったサクラホビーにプラモデルを買いに行き、当時の銀座線の神宮前(現表参道)から表参道を走り抜けても誰にもぶつからなかった。平日の夕方だけど当時の表参道の人通りはまばら。駅の切れ目で車内灯が一瞬切れる山吹色の銀座線も懐かしい。昔の銀座線は運転室は片側だけで、一番前の連結ドアを開けることができた。悪友がそれを開けてすごい風がきたことを今でも覚えている。
赤坂は学校を帰る頃は薄暗く、料亭からは三味線の音が漏れ、芸者さんを載せた人力車も走ってた。一ツ木通りとみすじ通りを結ぶ路地には行きつけの駄菓子屋があり、いつも買い食いしていた。高校生の頃、部活で日曜に出てくると、食べるところはTBSのそばにあったハンバーグのキャビンぐらいしかなく本当に困った。
六本木は子供心にもハイカラな町だった。
渋谷の公園通りはずっと歩いて行っても喫茶店は数えるほどしかない静かな通りだった。
ちなみに、田園都市線はなく、渋谷からは路面電車の玉電が二子玉川と下高井戸に走っていた。三軒茶屋には二子玉川方面と下高井戸方面に分岐するための信号塔があった。今は世田谷セレブの町の二子玉川は二子玉川園という遊園地がある郊外の駅だった。
当時は赤坂や六本木には「大人の店」というのが厳然とあり、いつか大人になったらここら辺の大人の店に入ってみたいという漠然とした憧れがあった。でも、大人になってそれなりにお金も使えるようになった頃には赤坂や六本木は激変し、昔憧れた大人の店はなくなりつつあった。
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赤坂見附の鹿島建設のそばにあるレストランカナユニをご存じか?と、偉そうにいってみたが、実はつい先月この店を知ったばかりだ。
知らなかったなー、41年前から身近にこんないい店があったなんて。一言でいえば昔憧れた大人の店がここにはある。
41年前といえば、僕が中学生の頃。たしか、当時は未だ246を都電が走っていた。
さて、前回この店に行き大感激!お店の方とも話が合い、クリスマスのご案内をいただき昨夜、ここのクリスマスディナーに行ってきた。
レストランのクリスマスに行くのはほんとうに久しぶり。その昔、街場にフレンチができた頃はクリスマスは常連のためのお得なコースを供するためのイベント日であった。その後、バブルとともにカップル達のクリスマスディナーがブームになったが、今はどうなんだろう・・・・
このお店、41年前の開店以来、生演奏と共にディナーを楽しめるのがうりで、当然クリスマスも演奏付き。この日のヴォーカルはJANETTEさん。
席はカウンター。クリスマスの設えがとても綺麗。
カウンターのお隣には少女の頃、親に連れられてこの店にきたという何十年来の常連さん、カウンターの目の前には30数年前からここでカクテルを作っているバーテンダーの武居さん。
武居さん、その間のとり方、話術はまさにプロ中のプロ。初対面ながらすぐ打ち解けてしまった。
ワインもすすむほどに僕の口も滑らかになり、
「いやー、こんなにいい店が身近にあるなんて知らなかったですよ。こんな雰囲気の店って、昔のケヤキグリル以来だな。うちはヒルトン時代からずっとキャピトルに通いつめていましたが、なくなっちゃって行きどころがなく困っていたんで、本当にうれしいですよ。」
『えっ、ヒルトンですか・・・実は私はヒルトンからスタートしまして・・』
「えーっ」
『18歳の時に李白バーに入って修行しました。』
「ヒルトンといえば、僕が中学生の頃にビートルズが来て大騒ぎだったですよね。学校が近かったんで、同級生が何人か見に行きました。」
『私はそのすぐあとに入社して、ツイッギーさんのときにルームサービスでお部屋に伺いました。』
「いやー、懐かしい!」
と、とめどもない昔話となり、以前はキャピトルのプールは何でも出前できたとか、パーコ麺が美味しかったとか、キャピトルの常連さんがこの店によくいらっしゃるというはなしになり、キャピトルがなくなって本当に寂しいという段になって、ふと見ると武居さんの目に涙が・・・・
『ホテルって、その時代、時代にいろいろいな想い出があるものですよね・・・』
武居さんの心の中に、さまざまな思いが去来したんだろうな・・・
つられて、うちの妻も涙声。
ほろりとしたクリスマスでした。
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